(五輪をめぐる)金と金:42.195キロ、終わらせたくなかった
朝日新聞 2021年4月20日

     

日本女子マラソンは2000年シドニー五輪で高橋尚子(48)が、4年後のアテネ五輪で野口みずき(42)が金メダルを獲得した。近年は低迷が続くが、この時のような栄光の時代はどのような経過をたどって生まれたのか。今夏の東京五輪を前に、思いを巡らせたい。  金メダリスト2人がオンライン対談で当時を振り返った。

高橋: 「得たものは人のつながりだと思う」 
野口: 「大歓声と景色、今もずーっと覚えている」

――お互いのレースをどこで見ていましたか。  

野口: 合宿先の長野・菅平で見ていました。大歓声を独り占めにしている高橋さんをうらやましいと思いましたし、ああなりたいと思いました。ただ、当時は1本もマラソンを走っていませんでしたから、4年後に私が金メダルを取るなんて考えられなかった。  

高橋: 私は米国で小出(義雄)監督やスタッフら7、8人で見ていて、みずきちゃんがゴールしたと同時にシャンパンで乾杯しました。メダルが有森さんの時代から4大会続いたって、みんなで喜びました。

――2人ともスパートのタイミングと切れ味が勝因かと。 
高橋さんは35キロ手前、野口さんは25キロでした。  

高橋: サングラスがこめかみを締め付けていたので外そうと思い、ちょっと前に出て投げたんです。その時にシモン選手(ルーマニア)を見たら、ついてきていないぞ、反応が遅いぞって。「あ、今か」と思って出たんです。小出監督のプランはなく、ただ「力を出し惜しみしなくていいよ」とだけ。  

野口: きっと小出監督も高橋さんだったらちゃんと考えて走るだろうと、すべてにおいて信頼していたんでしょうね。私の場合は藤田(信之)監督の指示です。レース当日だったですかね。アテネのコースは32キロまで基本的に上っていて、あとはひたすら下るコース。私は下りは不得意だったので、その前に引き離そうという作戦。下見で確認していたスーパーの大きな看板が目印になりました。残り17キロもあるのに、大丈夫かなという不安もありました。  

高橋: 自分でレースを動かした、という点は共通していますね。守りに入らず先手を打って主導権を握る、という。そして勝負は1回切り。  

野口: そうですね。もともと私は相手のリズムに惑わされるのが嫌で、野生動物のように突っ走るタイプ。テクニックはなかったけれど。  

高橋: レースってつかめない水のような状態だと思うんです。気象条件や体調でどんどん形が変わる。その水をどうやってつかんでいくか。台本通りに実行できる、みずきちゃんはすごいと思います。

――終盤、野口さんはヌデレバ(ケニア)、高橋さんはシモンに差を詰められながらも優勝のフィニッシュをしました。  

野口: ゴールしたくなかったですね。パナシナイコスタジアムの大歓声に酔いしれていて、この雰囲気が終わってしまうのか、と寂しい気がして。あの大歓声と景色を今もずーっと、ずーっと覚えています。  

高橋: その気持ち分かります。五輪のレースって、それまでにずっと練習で走ってきたことを考えると、私たちにとっては最後の42キロ。たった42キロで、それまでやってきたことにピリオドを打つという寂しさが私もありました。

――練習の裏付けがあってこその金メダルです。  

高橋: 練習した米国のボルダーで標高3500メートルまで上る25キロは苦しかった。木も生えていないようなところを超えた瞬間、心臓が握りつぶされるような感覚になりました。  

野口: 高地で言えば私も中国の合宿地で有名な昆明からさらに上がった2500メートルの麗江で、普通のペース走をしてもとにかく足が動かなかった思い出があります。あと、私は5キロを3本といったロングインターバルがとにかく嫌いで。  

高橋: みずきちゃんのダイナミックな走りを生み出したのはバーベルを使ってのスクワットなどのウェートトレーニング。  

野口: フルではないんですが、ハーフスクワットで70キロ。藤田監督をかついでやったこともあります。

――金メダルで得たものとは。  

高橋: 人のつながりだと思います。マラソンは孤独なスポーツと言われますけれど、スタートするまでに監督、コーチ、栄養士さんらが駅伝のようにたすきをつないで、私がアンカーとして感謝の思いを伝えながら走った感じですかね。  

野口: 五輪・パラリンピック事業で全国に行きますが、今の小・中学生にとってはアテネ五輪なんて生まれる前の話なのに、金メダルを出すと目がきらきら光り輝くんですね。そういう光景を見ると高橋さんのメダルを受け継ぐことができて本当に良かった。

――コロナ禍が収まらないなかで東京五輪が近づいてきています。  

高橋: こんな状況でもできることを駆使して、選手はレベルアップしている姿を見せてくれています。ただ、命の不安を感じたり、生活の制限があったりする中でやりましょう、とはなかなか言えないですね。  

野口: 五輪がすべてじゃないという選手も中にはいるのかな。こういう状況に対応できる選手こそ最強だと思います。代表選手には最後まで一日、一日、一走、一走を大切にしてほしいです。

    

高橋尚子
1972年生まれ、岐阜県出身。マラソンデビューは97年大阪国際女子で、7位。98年バンコクアジア大会、2000年シドニー五輪金メダル。01年ベルリンで2時間19分46秒の世界最高(当時)をマーク。     

野口みずき
1978年生まれ、三重県出身。マラソンデビューの2002年名古屋国際で優勝。03年パリ世界選手権銀、04年アテネ五輪金メダル。05年ベルリンで現在も日本記録の2時間19分12秒で優勝。08年北京五輪代表。